伝統芸能

岩戸神楽(小林市)

岩戸神楽 小林市堤地区の岩戸神社に古く300年以前から伝わる神楽で、昔は同社の祭典あるいは行事などに必ず奉納されていたと言われています。

【問い合わせ先】
小林市社会教育課 TEL.0984-22-7912

岡原田の神踊り(小林市)

岡原田の神踊り この踊りは別名「めしげ踊り」ともいい、約800年前、肥後・薩摩を中心に唄い踊られた豊年踊りです。

【問い合わせ先】
小林市社会教育課 TEL.0984-22-7912

東方輪太鼓踊り(小林市)

東方輪太鼓踊り この踊りは、豊臣秀吉の朝鮮出兵から始まったと伝えられています。この出兵に島津氏が藩の軍勢を率いて朝鮮の各地で勇戦敢闘し、士気を鼓舞するため鐘太鼓を打ち鳴らしつつ戦って大勝を得たといわれ、この勇壮な様子を舞踊化したものが輪太鼓踊りの起源といわれています。

【問い合わせ先】
小林市社会教育課 TEL.0984-22-7912

永田町馬踊り(小林市)

永田町馬踊り 明治・大正の頃、鹿児島の谷山・国分・隼人あたりから今の永田町区へ荷馬車業者が移り住み、それをきっかけとして昭和の初めに35戸の業者が住み始め、その頃伝えられたのが現在の永田町馬踊りの初めだったと伝えられています。

【問い合わせ先】
小林市社会教育課 TEL.0984-22-7912

山中棒踊り(小林市)

山中棒踊り 山中地区は霊峰高千穂峰の北の登山口に位置し、修験者の中継仮宿の今坊権現社があった。棒踊りはそれらの修験者によって伝授されたもので、薩摩藩で隆盛を極めた至現流剣法の型を基本とした踊りです。

【問い合わせ先】
小林市社会教育課 TEL.0984-22-7912

細野一区輪太鼓踊り(小林市)

細野一区輪太鼓踊り この踊りは、豊臣秀吉の朝鮮出兵で、出兵した日向・薩摩・大隈の軍勢は、戦いにおいて約1万人の兵で軍隊と戦うために、武器をホロ・ヤバタ(踊り子がからっている物)の中に隠し武装して、鐘・太鼓を打ち鳴らし敵陣に踊りながら突っ込み、勇戦奮闘して大勝利を得たと伝えられています。

【問い合わせ先】
小林市社会教育課 TEL.0984-22-7912

真方一区兵児踊り(小林市)

真方一区兵児踊り 天正年間、今から約400年ほど前、島津氏と伊東氏との争いにおいて島津氏は薩摩武士の武技の集団訓練の場として士気を鼓舞するために陣中にて各種の戦法を取りいれ、その一方法としてホラ貝・太鼓を打ち鳴らして躍らせたのが兵児踊りの起源と伝えられています。

【問い合わせ先】
小林市社会教育課 TEL.0984-22-7912

新田場数え唄(小林市)

今から180年前、井堰建設のため新田場地区に藩主・島津斉興の命を受けた宮地定三という若い武士が派遣されました。新田場地区には小万という美しい娘がおり、いつしか定三と小万は恋に落ち、二人の仲は人々に知れ渡り、小万と定三を慕う気持ちはいつしか唄となり、ひろく語り継がれるようになりました。

【問い合わせ先】
小林市社会教育課 TEL.0984-22-7912

兵児踊り(小林市)

兵児踊り 先踊りのうしろに三味線、太鼓、笛が入場し、そのうしろにほら貝を先頭にした踊り子が続きます。入場した踊り子は二手に分かれて縦隊あるいは円になり、鳴り物にあわせて勇壮に踊ります。

【問い合わせ先】
小林市社会教育課 TEL.0984-22-7912

剣舞「一の谷」(小林市)

剣舞「一の谷」 平安末期の源平合戦の中で、源氏方の勇将熊谷次郎直實が平家方の武将平敦盛を播州須磨の浦において首を打ち取るまでの物語です。

【問い合わせ先】
小林市社会教育課 TEL.0984-22-7912

城攻め(小林市)

城攻め 胸に太鼓、背に孟宗竹に色とりどりの細かい紙の花びらをつけた矢旗を立て前後左右に激しく動く際に、矢旗がしなやかに揺れます。島津義弘が士民を鼓舞するために躍らせたといわれています。

【問い合わせ先】
小林市社会教育課 TEL.0984-22-7912

大太鼓踊(えびの市)

西長江浦大太鼓踊 太鼓方は、直径120cmもある太鼓を抱き、身長の3倍の矢旗を背負い、黒足袋、草履ばきに手笠をかぶり鉦方は陣笠、陣羽織、脇差、黒足袋、草履ばきで、それぞれ陣を整え勇壮活発に踊ります。

【問い合わせ先】
えびの市社会教育課 TEL.0984-35-2268

三段打分太鼓踊(えびの市)

東長江浦三段打分太鼓踊 飾笠をかぶり、絣の着物を着用した入太鼓2人が軽妙な動きで舞い踊りながら先導し。鉦、大太鼓の踊り手が2列になり、または4列になりながら、うず巻状に巻いたり、これをほどいたりして、小太鼓、鉦、大太鼓を三段に打ち鳴らして踊ります。

【問い合わせ先】
えびの市社会教育課 TEL.0984-35-2268

輪太鼓踊(えびの市)

下大河平輪太鼓踊 鉦と太鼓を打ち分けて前奏と後奏を回り踊り、中心で鉦が踊る。円陣を組んで勇壮な踊りです。

【問い合わせ先】
えびの市社会教育課 TEL.0984-35-2268

兵児踊(えびの市)

池島兵児踊 昔から青年男女により踊られており、はかまを着用し頭に長いハチマキをたらし、腰に刀を差し円陣を組みながら踊ります。(栗下、下大河平、五十市、池島)

【問い合わせ先】
えびの市社会教育課 TEL.0984-35-2268

鎌踊(えびの市)

鎌踊 矛を先頭に、鉈手は黒かすりの着物に黒タビ、鎌手は、白かすりの着物に白タビ、白木綿のハチマキに帯をしめ、タスキに手甲、脚絆にわらじばきで手に鉈と鎌を持ち唄にあわせて勇壮に踊ります。(上江)

【問い合わせ先】
えびの市社会教育課 TEL.0984-35-2268

狭野神楽(高原町)

狭野神楽 日本有数の修験道場でもあった霧島信仰のひとつの拠点として古い歴史をもつ狭野神楽三十三番は、修験道の流れを汲む貴重な文化遺産として知られています。地区の人たちにより守られてきた神楽には、「神々と人の関係」の原点があるように感じられます。

【問い合わせ先】
高原町教育総務課社会教育係 TEL.0984-42-2111

祓川神楽(高原町)

祓川神楽 霧島六社権現のひとつ、霧島東神社の奉納行事として伝えられてきた祓川神楽は、山の神の怒りをしずめ、神と人が直会(なおらい=宴会)をするところから始まります。神楽の夜には焼酎と手打ちのそばがふるまわれるのが伝統。昔のままに伝承されています。

【問い合わせ先】
高原町教育総務課社会教育係 TEL.0984-42-2111

苗代田祭(ベブがハホ)(高原町)

苗代田祭(ベブがハホ) 全国的にもきわめて珍しい農耕行事で、ベブは牛、ハホは主婦の意味。境内に青竹としめ縄をめぐらして水田に見立て、作男役や親方役などがあぜ塗りから種まきまでをコミカルな仕種で演じます。クライマックスでは木彫りの牛が暴れる場面と臨月の親方婦人が登場し、爆笑の渦が巻き起こります。

【問い合わせ先】
高原町教育総務課社会教育係 TEL.0984-42-2111

御田植祭(高原町)

御田植祭 毎年5月16日行われる狭野神社の御田植祭は、伝統的な稲作儀礼として継承されています。五穀豊穣を祈願し、棒踊りと奴踊りが奉納されます。いずれも400年以上の歴史をもち、その由来は島津義弘公にあるといわれています。

【問い合わせ先】
高原町教育総務課社会教育係 TEL.0984-42-2111

狭野棒踊り(高原町)

狭野棒踊り 御田植祭に奉納される棒踊りは、薩摩らしい勇壮果敢な踊りで、慶長年間、秀吉の命によって朝鮮に兵を出した島津義弘公が泗川の戦いに大勝して凱旋した祝いとして薩摩独自の剣法である示現流の型を取り入れて作ったものといわれ、一挙手一投足に迫力と緊張感がみなぎります。

【問い合わせ先】
高原町教育総務課社会教育係 TEL.0984-42-2111

奴踊り(高原町)

奴踊り 朝鮮出兵少し前に秀吉に攻め入られた際、薩摩随一の武将といわれた新納忠元が肥後八代の城を守り通し、ついに秀吉の大軍を撃退したことから、あまりのうれしさに島津の軍勢が顔にひげを描いて即興の歌で踊ったことが由来とされています。

【問い合わせ先】
高原町教育総務課社会教育係 TEL.0984-42-2111

紙屋城攻めおどり(小林市野尻)

紙屋城攻めおどり 紙屋城攻め踊りは、戦国の世に島津氏・伊東氏の城攻めが繰り返されたことが語り継がれ、江戸時代の社会安定期にこの様子が歌や踊りに表現されて発生したといわれています。

【問い合わせ先】

東麓兵児踊(小林市野尻)

東麓兵児踊 地域の特殊性を取り入れて狂言が創作されたその土地の人情や風俗をユーモラスに表現している兵児踊は、稲の予祝神事の田遊、御田植祭の奴踊がひとつになり、江戸時代末期、三味線を加えてできたものが原形といわれています。

【問い合わせ先】

三ケ野山地区鉦踊(小林市野尻)

三ケ野山地区鉦踊 800年前、一ノ谷合戦に敗れた平家の残党を追ってきた源氏が、この土地に住み着き山村生活の苦労を慰めるために、華々しかった一ノ谷合戦の模様を思い浮かべながら舞踊化したのが鉦踊の始まりといわれています。

【問い合わせ先】