遺跡文化


本田遺跡(小林市)

本田遺跡
縄文時代早期(約8千年前)から前期(約5千年前)にかけてこの地域に古代人が生活し南九州と西九州との間に交流のあったことを示す貴重な遺跡です。

【問い合わせ先】
小林市社会教育課 TEL.0984-22-7912

二原遺跡(小林市)

二原遺跡
「小林市指定史跡」となっており全国でも唯一、地下式横穴墓の内部が見学できる公園です。

【問い合わせ先】
小林市社会教育課 TEL.0984-22-7912

小林城跡(小林市)

小林城跡
この城は、日向の大守伊東義祐が島津氏にそなえて永禄9年(1566年)に築城したものです。

【問い合わせ先】
小林市社会教育課 TEL.0984-22-7912

伊東塚(小林市)

伊東塚 伊東・島津両軍の木崎原(えびの市)の合戦で戦死した伊東軍の族臣220人余人を埋葬した墓所で後に伊東塚と呼ばれるようになりました。

【問い合わせ先】
小林市社会教育課 TEL.0984-22-7912

かくれ念仏洞(小林市)

かくれ念仏洞 旧さつま藩内では、戦国時代末期より一向宗(浄土真宗)が禁止されていました。発覚すれば処罰がまっていたため、信者たちは人里はなれた洞穴などに密かに集まり、信仰を続けていました。この洞穴は明治の初めまで使われていたそうです。

【問い合わせ先】
小林市社会教育課 TEL.0984-22-7912

六地蔵憧(小林市)

六地蔵憧 六地蔵信仰は、人間は死後生前の行いによって地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上のいずれかに行くとし、6つの辻に延命・宝処・宝手・持地・宝印・堅固の地蔵が立ち死者を救おうというもの。この六地蔵憧は8面体の石柱で約2mもあり、北原氏が死者の供養のため建立したものと考えらています。

【問い合わせ先】
小林市社会教育課 TEL.0984-22-7912

弥生式土器(小林市)

弥生式土器 昭和49年9月に出土しました。この土器により弥生時代の住居があったことも考えられます。

【問い合わせ先】
小林市社会教育課 TEL.0984-22-7912

須木の滝(小林市)

須木の滝 すきむらんど内の滝で轟音を響かせて落下する景観は雄大です。まま子伝説から「まま子滝」とも言われています。

【問い合わせ先】
小林市社会教育課 TEL.0984-22-7912

十一面観音堂(小林市)

十一面観音像 三国名勝図絵によると、世尊寺の境内にあった観音堂の中に和同元年(708年)の作と言い伝えられています。

【問い合わせ先】
小林市社会教育課 TEL.0984-22-7912

榎田関跡(えびの市)

榎田関跡 江戸時代、求麻口番所といい、他領目番所の一つで、出水市の野間関、大口市の小川内関、高岡町の去川関とともに薩摩藩四大番所として、国防上の重大な任務を帯びていました。

【問い合わせ先】
えびの市社会教育課 TEL.0984-35-2268

真幸村古墳(えびの市)

 東西650m、南北450mの範囲に群在する島内地下式横穴墓群に属します。円墳の他鉄鏃など数多くの出土遺物が発見され、5世紀中ごろから6世紀代に営まれた古墳群と考えられます。

【問い合わせ先】
えびの市社会教育課 TEL.0984-35-2268

飯野村古墳(えびの市)

飯野村古墳 東西500m、南北1,100mの範囲に古墳時代(5世紀後半〜6世紀代)の墳基が数百基分布しています。 

【問い合わせ先】
えびの市社会教育課 TEL.0984-35-2268

小木原古墳(えびの市)

 東西1,350m、南北500mの範囲に、数群に分かれて300基以上が確認されており、小木原地下式横穴群と総称しているものに属します。

【問い合わせ先】
えびの市社会教育課 TEL.0984-35-2268

木崎原古戦場跡(えびの市)

木崎原古戦場跡 元亀3年(1572年)5月の木崎原合戦は、飯野城を居城としていた島津義弘と伊東義祐との戦いで島津氏が勝利を得ました。

【問い合わせ先】
えびの市社会教育課 TEL.0984-35-2268

飯野のイチョウ(えびの市)

飯野のイチョウ この大銀杏樹は、天正5年(1577)4月吉日島津義弘の長男鶴寿丸(幻生童子)の供養のために、方形の供養壇を作り、供養塔を立て、供養樹として植えられたといわれたいます。

【問い合わせ先】
えびの市社会教育課 TEL.0984-35-2268

天の逆鉾(高原町)

天の逆鉾 ニニギノミコトが降り立ったといわれる高千穂山頂に、天を指すように立つ1.3mほどの剣で、その由来には数々の逸話が伝えられています。

【問い合わせ先】
高原町教育総務課社会教育係 TEL.0984-42-2111

狭野の杉並木(高原町)

狭野の杉並木 狭野杉として知られている杉並木は、豊臣秀吉朝鮮出兵の際に従軍した島津義弘が狭野神社に戦勝祈願し、無事に戻ったお礼として重臣新納忠元をつかわして植えたもので、すでに400年もの歳月をへています。

【問い合わせ先】
高原町教育総務課社会教育係 TEL.0984-42-2111

祓川黒木家旧宅(高原町)

 以前は、祓川の集落にあり、昭和49年9月より解体修理の上、宮崎県総合博物館民家園に移築保存となりました。宮崎県南西部に分布している二棟型家屋の典型で、解体修理の際、天保5年(1834)に造られた事が判明しました。

【問い合わせ先】
高原町教育総務課社会教育係 TEL.0984-42-2111

高原古墳(高原町)

 皇子原公園の敷地内にあり、宮崎県に指定されているのは6基ですが、周囲には、同じような土饅頭が多く見られます。墓の時期及び内部の状態は不明ですが、諸県特有の古墳形態である地下式横穴墓と考えられます。

【問い合わせ先】
高原町教育総務課社会教育係 TEL.0984-42-2111

日守地下式横穴群(高原町)

 後川内と高崎町との境に位置し、これまでに30基以上発見され、その中には住居建築を模した彫刻や塗朱を施した墓の他、南海産の貝輪や畿内地方の交流が窺える蛇行剣等の副葬品が出土しています。時期は5世紀前半から6世紀前半。

【問い合わせ先】
高原町教育総務課社会教育係 TEL.0984-42-2111

錫杖院墓地(高原町)

 霧島神社の神宮寺であった錫杖院の代々の住職の墓地で、墓地内には、文明18年(1486)に荒廃した錫杖院を再興した圓政法印と思われる古い型式の五輪塔や、伊東方の修験者で、島津方に殺害された池郷民部等の墓石があります。

【問い合わせ先】
高原町教育総務課社会教育係 TEL.0984-42-2111

広原池の原庚申碑(高原町)

 銘により、天正19年(1591)に鳥集対馬守が代表となって庚申供養と橋の完成を記念して建てられた事が判明しています。これまで複数の神と共に祀られていた「青面金剛」を独立して祀った、最古の庚申塔です。

【問い合わせ先】
高原町教育総務課社会教育係 TEL.0984-42-2111

長家文書(高原町)

 計29巻。大半が中世に作成されたもので、内容は、武術伝書を中心とした修験道・兵法関係の伝書が主体。江戸時代、薩摩藩で行われた伝書改変整理以前の姿を留めています。

【問い合わせ先】
高原町教育総務課社会教育係 TEL.0984-42-2111

大萩古墳(小林市野尻)

大萩古墳 地下式横穴墓(堅抗を設けその床面より横方向に掘削し埋葬主体部である玄室を造ったもので、南九州独特の墓制)、直刀などの武具、その他農工具や装飾品、数十体の人骨が出土し、昭和8年に県指定の史跡になっています。

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内場仏飯講の碑(小林市野尻)

内場仏飯講の碑 昭和16年5月5日に建立された自然石の記念碑です。内場とは霧島盆地にある郷、即ち西諸県・北諸県の総称で仏飯講とは、一向宗(浄土真宗)の門徒が集まってできた組織で、唄名念仏して法話を聞き、仏飯を捧げ、そのお下がりを分け合って食べたことからその名が付いたといわれています。

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東麓石窟仏(小林市野尻)

東麓石窟仏 中央正面に薬師如来座像、その左右に日光・月光菩薩が脇侍しており、更に左右には十二神将を従えたもので、南北朝末期から室町時代にかけてのものと考えられます。

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